TRAVELWITHMOVINGニューヨーク編C 自由の女神

今回の旅で生まれて初めて目の前で自由の女神を見た。なんてことはない、ただのでかい銅像だ。身もふたもない言い方で申し訳ないが少なくとも僕にとってはそうとしか言いようがない。

自由の女神はアメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴。でも実際みても何も感じないのだ。それは自分がいろんな意味でこの自由の女神と無縁だからだろう。

象徴とは抽象的な思想・観念・事物などを具体的な事物によって理解しやすい形で表すことをいう。とすると僕がこの像を見ても何も感じなかったということはこの像が示す自由・民主主義の概念を本当の意味で分かっていないということだ。この女神の左手にはアメリカ合衆国の独立記念日が記された銘板を持っており、足元には引きちぎられた抑圧の象徴たる鎖と足かせがあり、これを女神が踏みつけている。彼らにとって自由と民主主義は専制君主の圧政から自らの意思と行動で掴み取るものなのである。いわば彼らにとっての自由・民主主義はDoなのだ。それが多くの日本にはピンとこない。それは日本人にとって自由・民主主義は明治から戦争を経て現代にいたるまでの間に何となくお上から与えられたものという意識があるから。いわば日本人にとっての自由・民主主義はBeなのだ。日本人の象徴は何かと言われれば天皇と富士山だろう。前者は神道の祭主、後者は葛飾北斎の富 嶽三六景にもあるように富士信仰の対象物。そのいずれの根本にも自然崇拝、アニミズムがある。アニミズムとは自然を含めたあらゆるものに神が宿るというもの。日本の自然には無数の神が住んでいる。ゆえに昔の日本人は自然に畏敬の念を抱き自然と調和するように心がけてきた。そこから日本人の根本概念である和の概念が生まれた。そこでは仲間や組織の調和を乱す自己主張は空気を読めないとして徹底的に嫌われ排除される。そしてそういう概念の下の自由も受動的なもの、自己抑制的なものになるのだ。

今一部でそういった自由の基礎法であり民主主義の根拠である国民主権を認めている日本国憲法の改正論議が巻き起こっている。その中で今の日本国憲法は権利ばかりで義務規定がない、だから義務を数多く規定すべきだという意見がある。まさに日本的で場合によっては危険な考えだと思う。つまりこういうことだ。今の日本国憲法は第二次世界大戦後に実質的にGHQが日本政府に押し付けたものなのでその性格は完全にアメリカの憲法だ。その主眼は国家権力を制限することにある。つまりそれは過去に国家がたびたび国民から重税を取り立てたり、意思を抑圧してきた歴史を踏まえたうえで国民が国家に対し自分たちの権利を保障しろという一種の命令だ。上記のDoの結果得られたものだ。それを踏まえ国家や自治体は国民間の権利の調整や国民全体の利益の観点から法律や条例等という形で国民の権利を制限し義務や規制を課す。それがおかしいと思うならしかるべき時に裁判所でその法律・条例等の規定や運用が主人である俺たち国民の命令に反してんじゃねぇのと憲法違反を主張することができる。そこに上記の義務規定云々の考えが入ってくると国民が全体の空気を読んで国家に自ら自分たちの権利・利益をいくらか投げ出すということになるのだ。例えば表現の自由に義務規定ができることで国家が間違った方向に向かって国民の多くが損害を被る可能性があるときにもいいたいことが言えない、若しくは正当なことをいって罰せられそうになったとき最後の拠り所である憲法に救いを求められない場合があるのだ。義務規定賛成論者はこのことの意味をよく考えてもらいたい。

僕は何より優先すべきは国家の利益ではなく国民の生命・身体・財産等の利益・権利だと考える。国家は国民の利益に奉仕する機関だと思うから。
ゆえに近隣諸国と軍事衝突する可能性がある場合に戦争反対武力保持反対と唱えれば戦争は防げて国民の生命身体は守られるみたいな馬鹿な言霊イズムは論外だと思う。よって憲法九条改正には賛成。
次に外国人の地方参政権の問題については一般に利害が対立しうる他国の人間が自国民の生命・身体・財産の保護を真剣に考えるとは想定しにくい。そしてだいぶ緩くなったとはいえ日本は基本的に中央集権国家。ゆえに地方と中央は密接に関連している。である以上国民主権の観点からも国のみならず地方のありかたについても自分たち国民自身で決めるべきだ。もし日本が好きがゆえにそのあり方に並々ならぬ関心があるなら国籍を取得すればいい。よって外国人地方参政権付与には反対だ。
そして今の憲法の人権規定に義務規定を多く入れるのは大反対である。僕は和の精神を核とする日本文化は世界に誇る素晴らしいものだと思う。でも権利に対する考えについては空気を読めよと言われようが今の人権規定を堅持すべきだと思う。もちろん上記のような日本の伝統に即した自由や権利を全面的に肯定するというのも議論を深める上で選択肢として存在すること自体は賛成だ。でも国民みんなが国家権力の変な強制や同調圧力にさらされることなく自分らしく生きられることを認めている今の人権規定は国民の権利や利益に十分貢献しているといえるから堅持すべきだと思うのだ。

とはいえこれはあくまで僕の個人的意見にすぎない。こういった国民の自由・民主主義に大きく関わる憲法改正問題についてはおおいに国民的議論がなされるべきだと思う。みんなが思うことを述べた上でベストな形で憲法が改正され日本人にとっての能動的な自由や民主主義が明確に定義できたなら僕は次に自由の女神を見た時、感じるものがあるのかもしれない。 TRAVELWITHMOVINGニューヨーク編DTRAVELWITHMOVINGニューヨーク編Bに戻る inserted by FC2 system