TRAVELWITHMOVINGニューヨーク編B 9.11メモリアル


「あのテロは悪魔の偉大な芸術である」。9.11テロに対するドイツの著名な現代音楽家、故カールハインツ・シュトックハウゼンの発言である。この発言で彼は世界中のメディアから批判を浴びた。確かに9.11テロで尊い命を落とした故人の遺族やいろんな意味で傷を負ったテロ被害者のことを考えるとき道義的に大いに問題ある発言だと思う。でも彼のこの発言ほど9.11テロの本質を言い当てたものはないと思う。
学生時代だった、あの映像を見たのは。深夜テレビを見ると飛行機がビルに突っ込んでいる模様が映されている。ビルが爆破され多くの人がビルから転落し血だらけで死んでいる地獄絵図。その光景があまりにも衝撃的かつ生々しすぎてかえってリアリティーが感じられなかった。あのテロはいったいなんだったのだろう。その思いは消えるどころか時間が経つにつれ日増しに強くなっていった。もちろんメディアのニュース等を見ておおまかなテロの背景は頭では分かっているつもりだった。でもこのテロにはそれだけでは説明できない人間の根源的な感情が生み出す業というかそういったものが絡んでいるのではないかと思った。その答えを見つけるきっかけを掴みたい。それが今回のニューヨークの旅で9.11メモリアルにいった目的。そしてたどり着いた答えが上記の現代音楽家の発言だ。

正直9.11メモリアル自体にはそんなに感じるものがなかった。もちろんここであの世界的大事件が起こったのかと感傷にふけったりはしたのだが。でもそのすぐそばのギフトショップで9.11テロで息子を失って悲しむおじいさんが主人公のアニメフィルムの最後に「…reunite」というフレーズが流れ、それをくぎづけになってみていたり涙している方々を見た時、かつて旅したインドやバングラディッシュの路上や廃線の上で全裸かボロをまといながらその日暮らしをしている無数の人が脳裏に浮かんだ。そしてここの人たちの多くは何もわかっていない。もしくは分かっていながら問題をセンチメンタルなドラマ、無垢な市民・憎きテロリストといった二項対立、勧善懲悪の文脈に押し込もうとしているのではないかと思った。もちろんその映像をみていた人の中には問題の本質に目をそらさず思慮深く考えている方もいたとは思うが。

ブッシュの自作自演説は陰謀論者に任せるとして(笑)、一般的にこのテロは故ビンラディンを首謀者とするアルカイダの仕業とされる。 アルカイダは反米をスローガンとするイスラム系国際テロ組織である。でもアルカイダはもともと冷戦時代、ソ連のアフガニスタン侵攻に対向するためCIAとパキスタン主導でアラブの有志を集め結成された組織。それが湾岸戦争時のキリスト教圏のアメリカ軍のイスラムの聖地メッカ滞在を機に反米に変わってしまう。つまりアルカイダ結成にアメリカが絡んであるのである。また彼らのやり方の一つに自爆テロがある。9.11はまさに民間航空機を乗っ取ったテロリストの自爆テロ事件だった。でもいくらイスラム教がアラー絶対の一神教だとしても自爆テロをしたがるイスラム教徒なんてそうはいない。そこでアルカイダは絶望的な貧困に苦しむ子供に飯を与えおびき寄せテロ戦士に育てた。その上でアルカイダは彼らに聖戦で死ねば天国に行けるとコーランを曲解して自爆テロをするように仕向けたのである。つまり9.11テロの背景には貧困があり、それは欧米のアジア・アフリカに対する植民地政策〜資本主義による富の不均衡によって引き起こされてきたし今もその状態は続いているのである。しかしアメリカはそのことに目を向けないで自分たちは悪いことなんてしていないのにイスラムのテロリストが悪いことをした。あいつらを絶対許せないと問題をあまりにも善悪二元的にとらえ単純化してしまった。その結果がイラクの泥沼化、アラブの反米意識のさらなる高まりだ。事態はより悪化してしまった。そして上記のショップの様子を見る限り十字軍の遠征以来繰り返されてきたキリスト教・イスラム教の復讐の連鎖は途切れそうにないどころかこれからも続きそうだ。愛する者を失った悲しみ、そのやりきれなさが憎しみに変わり復讐に走らせる。こういう悲しみ・憎しみという感情は切実で重みがある。ゆえにそれにもとづく復讐を止めることはかなり困難だ。9.11テロはそういった人間の負の感情が生み出した一つの象徴であり「偉大な作品」なのだろう。

自分も仮に愛する者を失ったら殺した者に対し復讐の念を抱いてしまうと思う。だから安易に戦争反対、平和が一番だなんていうつもりはない。でもそうしたところで愛する者は戻らない。むしろ愛する者がなぜ殺されたのか、その真相を知りたいと思う。そしてそんなことが二度と起こらないような世の中になってほしいと思うだろう。じゃなきゃ愛する者がうかばれない。大切なのは自分たちもまた不完全な存在であることを認識し、相手の言い分に耳を傾けること。その上で納得しないところは武力の行使を含めた制裁措置も視野に入れながらも互いの違いに寛容になって問題を解決していく忍耐であろう。あるものを見るときその見え方は個人、人種・民族によって違うものである。そのことでこう見ないとだめだと言い争いになったり傷つけあったりすることもある。一神教のキリスト教、イスラム教の人、国・民族はなおさらその傾向が強いだろう。でも見え方はちがっても見ているものは同じだ。だからお互いの忍耐と努力で問題解決につなげることができる。その手助けを無数の神様が住んでいる日本がすればいいと思う。もちろんそれが国益に沿ったものであるならばの話ではあるが。いつかこの9.11メモリアルが衝突のモニュメントでなく平和のモニュメントになっていくことを心から願う。

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