TRAVELWITHMOVINGニューヨーク編A MOMA




今回MOMAでポップアートを鑑賞して初めていいと思った。MOMAはミュージアムオブモダンアートの略でありポップアートを含む現代アート作品が数多く展示されている世界的な美術館である。今回はMOMAに展示してあるポップアート作品に重点をおいて鑑賞した。いままでポップアートにさほど興味はなかった。興味のあるふりはしていたが。かっこよく思われたくて(笑)。とはいいつつ確かにウォーホールの作品はきらいじゃなかった。でもそれは彼の色彩感覚の豊かさに惚れていただけで決して彼の作品の中味を理解していいと思っていたからではない。同じことが印象主義時代のピカソにも言える。彼の表現自体の強烈さには強く惹かれるものの、その意味が凡人の僕にはよくわからない。個人的にはゲルニカに象徴される印象主義時代の作品よりも青の時代とか海辺を走る二人の女とか今回グッゲンハイム美術館でみたle mounlin de la galetteといった彼の初期の作品の方が好きだ。それらの作品には思春期独特の空気感だったり、女性の持つたくましさだったりみんなが酒場で醸し出す華やいだ開放的な空気感が強く伝わってくるから。おそらく彼はそういった目に見えない空気感といったものを突き詰めていってあの独特な作風になっていったのだろうと思う。でもその作風が難解すぎるので彼の印象主義時代の作品について語ることが出来ないのだ。それと同様にポップアートの作品についても本当に理解しようとすれば難解すぎてよほどの感性の持ち主か変態でないかぎり無理だと思う。もっともそれは電気グルーブの歌詞みたいに意味ありげだけど実は何もないものなのかもしれないが。でもMOMAというある種の枠の中ではそれらを位置づけることはさほど難しくないし、それはそれで一つの深い考察の機会を鑑賞者に示してくれる。ではその枠とは何か。それは現代文明・資本主義の欺瞞的側面だ。

現代文明の特徴の一つに大量生産・大量消費がある。それは産業革命や宗教改革の流れの中でカルヴァンが利潤の追及を肯定したこと等により資本主義が発展し、フォードの大量生産システムにより結集する。これにより車の生産に機械工の熟練の有無は無関係となり、同じものを大量に生産できるようになる。この流れが加速度的に進展すると消費者としては壊れてしまえば下手に自分で直したり修理に出すより、新しい同じものを買う方が費用対効果的によいと考えるようになる。そうなると消費者はその物自体の性能を見極める目が衰え、その性能がいいというイメージや製品のデザインに目が行くようになる。その流れの中で広告産業が発展することになる。この商品はこんなにいいですよ、こんなに素晴らしい、かわいい、かっこいい、これを買わない奴は時代遅れだ、企業はこういったイメージをネットやテレビやラジオを通じて消費者の深層心理に植え付けることになる。このようにして消費者は製品や商品の品質に疎くなり、企業が提供する大量のイメージに溺れ思考停止状態となる。やがて消費者は商品の使用価値ではなくそのイメージそのものの消費を指向し、ますます現実感覚に乏しくなる。そんなかれらにとってはマリリンモンローがどんな人間でどんな考えを有していたか、演技力があるか、歌がうまいかなんてどうでもいい。豊満な肉体を強調する白いドレスを着て地下鉄から吹き上げる風でめくれそうなスカートをおさえる感じのイメージさえ消費できればいいのだ。マルホランドドライブの主人公みたく彼女は代替可能なねじまき人形。美容商品もそう。実際に効果があるかよりも効果があると勘違いさせてくれるような刺激的なイメージを与えればいいのだ。つまり商品そのものより商品のイメージや枠の良し悪しが問題なのである。その枠やイメージを執拗によく見せようと企業はタレントや芸能人やアニメ等を使う。結果エンターテイメントという名のイメージ産業が発達・進化する。イメージがイメージを生む世界。マリリンモンローがキューティーハニーになり、キューティーハニーがサトエリになる世界。そしてそれはyoutubeやsns等ネット環境の整備によりさらに加速度的に増殖し、それを視聴者は無我夢中で消費する。僕らはイメージという一種の嘘を貪り食う家畜。夢と現の区別のつかない一種の夢遊病者。うる星やつらのビューティフルドリーマー、ジャンボードリヤールのシミュラークルの世界だ。それが今の世の中を生きるということ。

それがいいか悪いか別にしてこの宿命から逃れることはできない。マトリックスのネオのようにこのイメージの世界を超越するかイメージを作る側の頂点に立つか死なない限りは。いっておくが宗教の力で超越しようとしても無駄。だって宗教も一種のイメージ製造装置なのだから。例外的に仏教は使えるかもしれない。なぜならその本質はイメージの執着を止める、乗り越えることにあるから。でも気をつけてね。そういうこといって変な世界に引き込もうとする怪しい宗教勧誘者がたくさんいるから。そう考えるとオウム信者は未熟ながらも普通の人以上に敏感で人生というものを真剣に考えすぎちゃったんだろうな。もちろん彼らのしたことは絶対に許されないのは当然だが。

こういった文脈でみると上記の作品というかMOMAの作品の多くを理解できる。ちなみにMOMAの理事会にはかのロックフェラー一族も名を連ねている。資本主義の胴元がこのようなミュージアムの理事に名を連ねるとはなんという皮肉か。 これがMOMAで感じたことだがそれに賛同するかどうかはみなさんがMOMAに行ってその目で確かめて決めることをお勧めする。

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