TRAVELWITHMOVINGニューヨーク編E 建物・街並みpart2
  • エンパイアステートビル展望台からの眺め

    さっきアンハサウェイがケイティーホームズの物まねをしているユーチューブ画像を見て笑ってしまった。演じてます的な彼女の演技はどうかと思うけど彼女はコメディの才能あるね。なぜアンハサウェイがアメリカでヘイトハサウェイといわれ嫌われているのかわからない、こんな愛すべきキャラクターなのに。まあいいや。

    続いてはかの有名なエンパイアステートビルからの眺め。
    自由の女神の時も感じたけどこういう典型的な観光名所って一人旅の人間にはいろんな意味でキツい(笑)。でも噂に違わず壮観な眺めだった。ニューヨークに来たなという実感が湧いた。今思えば夜景も観とけばよかった。まあいい、それはいつか永遠のパートナーが見つかった時のためにとっておこう。

    でもそれと同時にこういう街全体の景色を見た時、感じるのは所詮これは作りもんの集合に過ぎないのだろうということ。そう感じるきっかけとなったのは大学時代友達とイタリアに旅する際の行きの飛行機上で見たシベリアの氷河だった。当時学生ということもあり金があまりなく交通手段を切り詰めなければならなかった。そこで利用したのは安いがデンジャラスな噂の絶えないアエロフロートというロシアの航空会社の航空便だった。ちなみに目的地に着いた時、乗客みんなが拍手をしたときはどんな飛行機使っているんだと突っ込みをいれたくなったのを今も覚えている(笑)。そのシベリアのうごめくような氷河を見た時その存在に圧倒されてしまった。人間がいかにちっぽけで下らない存在であるか実感してしまったというか。

    それ以来花の大聖堂から見えるフィレンツェの街を見た時も他のみんなのように感動もしなかったし、帰国後にデートで東京の夜景を見ながら食事した時もはしゃぐねーちゃんに合わせて作り笑顔を作りながらも自分の中のしらけムードが消えることはなかった。なんかビル群を見るたびシベリアの圧倒的な存在感が想起されそのあざとい人工的な建物の景色が嘘っぽく、薄っぺらく見えてしまうのだ。
    てめえの利権のために勝手に自然を破壊しておきながら自分をよく見せるために自然保護だの生物多様性だの宗教まがいな理屈を喧伝したり、金のためにくじらがかわいそうだと捕鯨船に砲撃して同じ人間を傷つけてまで生態系を崩す。こういうくそったれの人間のあざとい欲が生み出したビル群を観ても大して感動しないのだ。でもそんな僕もその同じ人間が作り出した音楽や映画、小説や建物そのものが人一倍好きでこんなホームページを作っているっているんだから(笑)。なんだかな〜。まあこんな僕ですら上記のように壮観だと思わさせるニューヨークの眺めにはそれだけ人を惹きつける何かがあるのだろう。

    ちなみにこの展望台にいくまで何回か乗るエレベーター内の案内がスペイン語、フランス語、ドイツ語等のヨーロッパ語圏の言葉でアナウンスされた後、中国語を経て最後の日本語の案内が始まってすぐいつも中間目的地に着いて案内が終わるのはわざとなんすかねぇ。そうだとしたら未だにバブル期に横井英樹がエンパイアステートビルを買収したことを根に持っているのか。金のないジャップは用済みなんだよと。だとしたら下らない。同じエレベーターに乗っている人の中にそれを笑っている人がいたけどそいつに怒りというより同情の念を抱いてしまった。哀れな奴だと。いずれにしろこういうレベルの低いことをしていても自らの名誉を損ねるだけだろう。

    僕は事実とべき論は基本的に分けて考えているが例外的に差別については事実とべき論を一緒にして考えなければならないと思う。自分が誰かを差別した時自殺したいくらいに落ち込んでしまう。なぜなら差別は絶対的にレベルの低い行為で絶対的に忌避すべきものであるから。そして仕方ないと差別を認めることは消極的に肯定することと同じである。僕は差別主義者みたいな本当の負け犬にだけにはなりたくない。例外は認めない。以上!

  • グッゲンハイム美術館

    次にグッゲンハイム美術館。

    さっきあれだけビル群を悪く言った僕だがこの建物を見た時は感動して泣きそうになってしまった(笑)。こんな気持ちインドでタージマハルを見た時以来だ。このバウハウスをさらにアートにした感じ。ファッショナブルで洗練されているのに重厚感もただよう何とも言えないかっこよさ。建物の中に入ってすぐにある洞窟を思わせる空間もいい。自分がこの美術館を訪れた日が暑かったこともあり、そこの光のグラデーションがこの空間の体感温度をさらに下げてくれてよかった。ここまで素晴らしい建物だとこうやってこの感動を言葉にするのはある意味この建物に対する冒涜かもしれない。じゃあ何も言うなって?(笑)。確かに。でもそれをいっちゃおしまいなのでしばらく僕の世迷言に付き合っていただく。

    この建物はアメリカ近代建築の父と呼ばれるフランク・ロイド・ライトの晩年の代表作。そしてこの美術館の創設者は大富豪グッゲンハイム家の四男ソロモン・R・グッゲンハイム。この美術館内には6000点もの美術品がある。

    でも建物には感動したものの、その美術品にはあまり感じるものがなかった。多分僕にみる目がないからだろう。それでも前モマのところで言ったようにピカソのLe Moulin de Galette には惚れてしまった。なのでポストカードを買って今こうして見返しているけどじつに味気ない。ロバートフランクのところでいったことと同じ理屈で考えるならばこのポストカードからは「空気感」が感じられないのだ。あの酒場より酒場らしい酒場から放たれる開放的な空気感を味わうにはもう一回この美術館にいくしかないのだろう。写真じゃなくて世界に一つしかないから。

    そう考えるといい絵が高額で売買されているのもなんとなく分かる気がする。絵そのものに惚れたならばそれはそれで有益な買い物だと思う。でも絵を持つことに惚れたのならこれほど無駄な買い物もないだろう。これはすべてのことに言えると思う。でも絵みたいな高額な買い物は別として例えばレコードや写真で買った当初は集めること自体を目的だったのがその数年後にその作品自体に惚れこんでしまうケースもあるわけで…。ん〜モノを買うということは奥が深い。

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